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シンとトニーのムーンサルトレター 第101信

第101信

鎌田東二ことTonyさんへ

 たった今、帰宅したばかりです。染織家の築城則子さんの御自宅で開かれた観月会に招待されたのです。最初は雨でしたが、途中で晴れてなかなか見事な満月でした。

 満月といえば、わたしは月に地球人類の墓標を建立し、地球から故人の御魂を送る「月への送魂」を行うことを新時代の葬送文化として提案しています。その考えは、1991年10月に上梓した『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)に詳しく書きました。最近、その本が意外な人物に影響を与えていたと知り、大変驚きました。

 その情報は、グリーフケアサロン「ムーンギャラリー」のグリーフカウンセラーで、終活アドバイザーででもある進藤恵美子さんから教えてもらいました。あるお客様が宇宙葬を希望されたそうです。宇宙葬とは、いわゆる散骨の形態の1つです。故人の遺骨などを納めたロケットを宇宙空間に打ち上げるというものですが、初の宇宙葬はもう15年以上前に行われました。進藤さんが宇宙葬について色々と調べていたところ、エリジウム・スペース社のCEOのインタビュー記事を見つけたそうです。アメリカに本社を置く同社は、宇宙葬を今までよりも安く提供し、より多くの人にサービスを届けようとしていることで知られます。20万円以下という低価格の宇宙葬はアメリカで大ヒット商品となり、日本にも上陸してきました。そのニュースは、10月1日付の「毎日」「朝日」「産経」といった全国紙の紙面やサイトでも紹介されています。

 エリジウム・スペースのトマ・シベ(Thomas Civeit)CEOは、元NASAの技術者で、なんとハッブル望遠鏡の開発者でもあります。その彼が、宇宙ベンチャーに関する情報サイトとして有名な「アストロプレナー」でインタビューに答えています。
 彼は、「宇宙葬が日本人の葬送の文化にどのような影響をもたらすと考えていますか?」との質問に対し、次のように答えています。「日本人の宗教観においては仏教というものが大きく影響していると思います。仏教では死後の世界というものに対して既に一定の世界観があります。クリスチャンよりも遺体を大事にするように思われますが、その一方、日本文化では散骨がとても自然に行われています。実際、私が調査したところ、日本人の中に最も早く宇宙葬を考えた一人がいます。一条真也という作家で、1980年代にとても素晴らしい本を書いています。 彼は日本の葬儀の未来に対してビジョンを抱いていました。死というものを地上から天へと解き放つ時期が来た、と。 死に対する価値観を変えていくという面で、私は彼に共感し『よしやろう』と思いました。人は死後、宇宙や月に行き、意義深く詩的な最期を迎えるということです」

 なんと、ここで「一条真也」という名前が登場したので、非常に驚きました。そして、しみじみと感動しました。『ロマンティック・デス』の中で、わたしが述べた「死のロマン主義」にNASAの重要人物が共感してくれたという事実に。そして、彼が起業した宇宙葬のビジネスが実際にアメリカで大成功したという事実に・・・・・。

 おそらくは、サンレーの小倉紫雲閣で葬儀実務を研修した鈴木光さんがハーバード大学大学院在籍中に英文で書いた「葬儀」についての著書で『ロマンティック・デス』を大きく紹介して下さったので、それをNASAの関係者が読んだのでしょう。その鈴木さんは現在、オーストラリアのシドニー大学で研究員(死生学)を務められていますが、今回の日本での宇宙葬スタートについての「毎日新聞」の取材に対して、「日米共に、宗教に縛られず自分らしい死への道筋を考える動きが広がっている。その時の新しい選択肢の一つになる」と語っています。

 宇宙葬において、エリジウム・スペースには「セレスティス」という競合がいます。じつは、サンレーは代理店のセキセーを通じて、セレスティスの宇宙葬を取り扱っています。でも、今後は場合によっては、エリジウム・スペースとも提携したいと思っています。いろんな宇宙葬があっていいし、いろんな選択肢があっていいと思うからです。「選択肢の多さ」が「豊かさ」につながるのではないでしょうか。

 2014年7月には、エリジウム・スペースが最初のロケットを打ち上げるそうです。ぜひ、わたしはアメリカまで打ち上げを見に行きたいと思っています。そして、トマ・シベCEOにお会いすることを楽しみにしています。

  さて、今日18日はサンレーの47回目の創立記念日でした。朝から松柏園ホテルの顕斎殿で、役員参加の神事が執り行われました。その後、500名を超える社員が参集して、「創立記念式典」が開かれました。まずは「ふれ太鼓」で幕を明け、「開会の辞」に続いて全員で社歌を斉唱し、それから「経営理念」「S2M宣言」が読み上げられ、全員で唱和しました。それから、わたしの「社長訓示」の時間となりました。

 わたしは、以下のような内容の話をしました。無事に47周年を迎えられたのは、みなさんのおかげで、心から感謝しています。また、会社として「世界平和パゴダ」を支援させていただいていることもあって、ブッダの御加護を感じています。いま、互助会業界が過渡期にさしかかっている中で、わが社は熱い注目を浴びているようです。

 10月2日、わが社で55番目の紫雲閣である霧ヶ丘紫雲閣がオープンしました。セレモニーホールには見えない内装で、中でも家族控室は“家”を思わせます。ここでは、自宅のようなスペースで最後のお別れができる新たな家族葬を提案したい。そう、日本人の葬送文化をミスリードしている「家族葬」の形を正しい形に戻したいと思っています。

 霧ヶ丘紫雲閣では、もう1つの新たな取り組みを実施しています。出棺時における霊柩車のクラクションに代わる「禮鐘」がそうです。騒音問題の解決にもつながり、何より「セレモニーホールはあの世への旅立ちの港。最後を見送る船出の鐘であるべき」との思いが込められ、今後は半年以内に既存の紫雲閣すべてに導入します。もともと、日本の都市化型セレモニーホールは小倉紫雲閣が最初だとされています。業界初のイノベーションがまたひとつサンレーから生まれることになります。

 さらに、今後のわが社にとって、「インフラ」という言葉がキーワードになります。「衣のインフラ企業」をめざすユニクロ、「食のインフラ企業」をめざすセブンアイホールディングス、そしてわが社は「住のインフラ企業」をめざします。さらに、「衣食」とくれば、「衣食足りて礼節を知る」という言葉が思い浮かびますね。そう、「礼」もインフラになりうる。というより、「礼」こそがインフラなのです。「礼」はもともと「葬礼」から生まれました。そして、ヒトは埋葬をすることによって人間になりました。つまり、葬送儀礼こそは人間の存在基盤なのです。

 「衣食住」が生活インフラならば、「礼」は人間インフラと言えるでしょう。そのことを強く教えてくれたのが、あの東日本大震災でした。わたしは、人が亡くなったとき、確実に葬儀が行える冠婚葬祭互助会というビジネスモデルこそ「礼」という「人間インフラ」を支えていることに気づきました。人間インフラ企業であるサンレーは、さらに生活インフラ企業もめざします。来年の7月からは、高齢者を対象とした宅食事業に進出します。
まずは八幡地区からスタートしますが、今後、北九州に在住する多くのサンレー会員様のもとに美味しくてリーズナブルな食事をお届けします。北九州における「食のインフラ企業」をめざしたいです。

 それから、「住のインフラ企業」もめざします。現在の日本にいて求められている「住」には2つの種類があります。「終の棲み処」と「死後の棲み処」です。昨年、わが社は念願の高齢者介護事業に進出しました。飯塚市にオープンした有料老人ホーム「隣人館」は大きな話題となり、多くのマスコミで報道されました。今後、この隣人館をたくさん作って、全国の独居老人や孤独なお年寄りに「終の棲み処」を提供したいです。そして、隣人館に入れば、孤独死しなくてすむ」という安心を提供したいです。

 また、来年から身寄りのない故人への樹木葬のための霊園「鎮魂の森」を福岡県田川市に作ることを構想しています。これも手頃な価格に設定し、誰もが利用できるようにして、「死後の棲み処」を提供したいと考えています。このように多面的な事業計画で、サンレーは新しいインフラ企業をめざします。

 9月26日、佐久間会長の78歳の誕生日の記念すべき日に、天道館が竣工しました。これはサンレーの社内研修施設であり、隣人祭りの常設会場であり、かつ地域社会の方々の寄合所でもあります。わたしたちは、ここから世直しをしたいと思っています。

 「天道」とは太陽神、すなわちサムシング・グレートのこと。太陽といえば、数々の名言が残されています。フランスの箴言家ラ・ロシュフーコーは「太陽と死は直視できない」と言い、偉大な社会運動家であった賀川豊彦は「太陽は実によく光る!」と言い、異色の哲学者であった中村天風は「太陽の光線は、美人の顔も照らせば、犬の糞も照らしている」と言いました。サンレーの社名の由来ともなった「陽光」はわたしたちが幸福に生きるためのシンボルなのです。

 わが社の志は、「サンレー」という社名にすべて込められています。無縁社会や老人漂流社会といった闇の世を、太陽の光で明るく照らしたい。太陽の徳の如く、あらゆる人々、いや人をも超えた万物を慈しみたい。そして、「天下布礼」の精神のもと、「冠婚葬祭を中心としたホスピタリティ・サービスによって、さらに良い人間関係づくりのお手伝いをしよう!」と呼びかけました。最後は、「創業の想ひは死なず 天道の光のごとく世をば照らさん」という短歌を披露しました。

 わたしも社長に就任してから丸12年が経ち、現在は13年目に入っています。本当に紆余曲折ありましたが、ここまで来れたのは、互助会の会員様、お客様、そして社員のみなさんのおかげです。心から「ありがとうございます」と言いたいところですが、今日は、あえて社員のみなさんに「おめでとうございます」と言わせていただきました。なぜなら、この祝うべき47周年の主役とは社員のみなさんだからです。ですから、正月の挨拶のようにお互いに「創立47周年、おめでとうございます」と言い合ったのです。輝ける50周年に向かって、さらに前進していきたいと願っています。なお、創立記念日の恒例になっていますが、今年も北九州市内の養護施設や幼稚園などを訪問し、紅白饅頭、お菓子、文房具などをプレゼントさせていただきました。

 それでは、Tonyさん、次の満月まで。ごきげんよう。オルボワール!

2013年11月18日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 今宵は、美しくも哀しい満月です。

 最初に、台風30号の被害で亡くなったフィリッピンの方々に心からの追悼を捧げます。また今なお日々の苦しみを耐え忍んでいる方々に心よりお見舞い申し上げます。このような言葉でしか伝えられないことをお許しください。

 先回のメールでも申し上げた通り、自然災害頻発の時代となり、これまでの「想定」とは違う「臨機応変」の対応・対策・行動が必要だと痛感しています。

 Shinさん、今しがた本日の満月の写真を撮りました。その前に今日は比叡山に登ったので、降りてきた時に見えた京都の街の光景と並べてみます。もちろん、比叡山でバク転3回、やりましたよ。何と言っても、Shinさんが「バク転神道ソングライター」と命名してくれたわけですからね。わたしの比叡山でのバク転3回は、「天地人三才に対する祈り」です。そのことをわかってくれる人はほとんどいませんが、わたしにできる命懸けの祈りなのです。

 バク転は、62歳のわたしにとっては、スポーツではありません。行であり、儀式です。祈りの。ちょっとでも間違うと大怪我をしたり、死に至ることもあり得ます。そんな危険なことを。お前はアホか。と言われそうですが、はい、わたしは阿呆です。でも、阿波で育てられたために、「踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損損」という精神が染み付いてしまっているのです。だからこそ、「バク転神道ソングライター」なんて命名を喜んで実践しているのでしょう。



2013年11月18日、満月前の京都の夕暮れ時の夜景

2013年11月18日23時の満月
 それはそれとして、この秋は、例年になく忙しく、9月からずっとイベント続きで、シンポジウム、講演、研究会、学会発表と、次から次へ休まる暇がありませんでした。

 中でも、印象に残っているのは、10月9日に東京ノーヴィレパートリーシアターで行なった「神話・文化・アート」の国際シンポジウムと、10月22日の広島のライブハウスをるがん座でのライブと、10月25日から27日までの3日間のNPO法人東京自由大学でのアートフェスティバルと、10月29日のトマス・ジョン・ヘイスティングス氏の「賀川豊彦の宗教と実践」についての講演と、11月2日の「第37回死の臨床研究会」と、11月10日の「天橋立とこころ」シンポジウムと、11月16日の第9回地球システム・倫理学会の「諸文明の中の母性的なるもの—地球文明と人類の未来文明創成へ向けて」などでした。

 ここに一貫して流れていたのは、「神話知」「身体知」「生態智」をどう未来に活かすか、という志向性でした。わたしの役目はそのような「知」や「智」や「地」を掘り起こして、過去・現代・未来へとつなぐことだと思っています。その時に、Shinさんが仕事としている冠婚葬祭も大きな意味と役割を持つことになります。

 わたしは、1985年に、「ムーンサルト・プロジェクト」を提唱し、
① 月を地球の「拝殿」に!
② そのために、月に「鳥居」を建てよう!
というスローガンを掲げてアピールを始めました。当時、そんな阿呆な主張に誰も見向いてくれる人などいませんでした。が、1991年だったかに、Shinさんの『魂をデザインする〜葬儀とは何か』(国書刊行会、1992年刊)の対談集に収録するための対談をして、わたしの「ムーンサルト・プロジェクト」に共感してもらえる人に初めて出会ったのでした。それが、Shinさん、わが魂の三兄弟の一人の貴男との出逢いでした。

 それから22年。世の中代わりましたね。ある意味で、わたしたちの「想定内」に。Shinさんの経営実践方針は世間の注目を集め、集中と選択により事業はより先鋭的に展開されていきました。『ロマンティック・デス』(国書刊行会、1991年、幻冬舎文庫、2005年)で公開された「宇宙葬」のヴィジョンは、「月面聖塔」構想や月面葬などに展開され、それが米国のエリジウム・スペースのトマ・シベさんに繋がったのです。

 わたしは「月面拝殿—宇宙〜地球祭」を、Shinさんは「月面聖塔—宇宙〜月面葬」をそれぞれの「死生学的ヴィヨン」として推進していったといえるかもしれません。わたしはより生の局面、むすびのちからの方向に、Shinさんはより死の局面、葬儀の局面に。

 もちろん、Shinさんは『結魂論』の著作や結婚式でも、またサンレーの皇産霊神社などありますので、「むすひ(むすび)」の方面も力を入れて展開されていることは重々承知しています。

 とはいえ、やはり、自然災害頻発の時代に、死の問題は大きく文明全体を覆い始めているので、葬儀を含め、死とどう向き合うかは、人類史上の大きな課題となっています。

 11月16日につくば国際会議場で行われた第9回地球システム・倫理学会では「諸文明における母性的なるもの—地球文明と人類の未来文明創成へ向けて—」が、服部英二氏(地球システム・倫理学会会長)の司会のもと、安田喜憲東北大学大学院教授、鎌田東二、鶴岡真弓多摩美術大学芸術人類学研究所所長、中村桂子JT生命誌研究館館長の順に提題をし、 伊東俊太郎(初代地球システム・倫理学会会長、初代比較文明学会会長、東京大学名誉教授)とモハメド・ハシヌ=ファンタール・チュニス大学名誉教授と青木三郎筑波大学人文社会系教授がコメントしました。

 このシンポジウムの趣旨は、<地球に38億年前に誕生した一つの生命は、さまざまに姿を変え、数千万種の生物を生み出してきた。ところが、17世紀以降支配的となる「科学の眼」、それによって、本来地上に生きる一つの生物でしかないはずの人間が自然の支配者として君臨し、産業革命を惹起し飛躍的に物質文明を繁栄させたものの、その結果、21世紀を迎えた今、ついに母なる地球までをも滅ぼそうとするに至っている。こうした姿は、全人性を歪めた理性至上主義に基づく「父性原理」とそれを原動力とする「力の文明」であり、自らをも破滅に導くものである。しかし、本来の倫理は、そうした歪んだ姿にはなく、その対極に位置しこれまで未開と軽んじられてきた理性・感性・霊性のすべてを和する全人的倫理、それこそが「母性原理」であり、いのちの継承を至上の価値とすることである。そこで近代文明の深奥に通底する「母性原理」を見直し、父性と母性のバランスを恢復する処方箋を探り、未来文明創成について考える。>というものでした。

 とりわけ興味深かったのは、生命誌研究館館長の生物学者である中村桂子さんが「神話知」や「物語」の重要性を強調されたことです。分析・要素還元だけでなく、総合化に向かう「神話知」や「物語」なしに適切に「いのちの継承」をしていくことは不可能であることが明らかとなっています。鶴岡真弓さんの問題提起もそれに通底していました。特にケルトの祭りに発する「万霊節」(ハロウィン)の精神が持つ意味は、ユーロ=アジア古層にあるスピリチュアリティの基盤を明確に指し示していました。

 面白かったのは、このようなシンポジウムにおいても、女性と男性のトーク、つまり、「物語」のトーンの違うことでした。「物語る」という能力については、男たちはまだまだ学ぶ必要があると痛感しましたね。

 ところで、わたしは、1年ぶりに、出雲大社を参拝しました。11月2日に松江に行って、そのまま出雲に行きました。3日の日に出雲大社を参拝し、出雲の地の幾つかの神社を巡拝しました。中でも、「命主社」の例大祭のための「蛇縄」つくりに参加できたのは、大変有難いことでした。命主社のご祭神は、出雲系の祖神神産霊神(神産巣日神:かみむすひのかみ)です。出雲大社は例年にないほどの参拝者だそうで、たいそう賑わっていました。

 その後、島根県の出雲から京都府の宮津市の天橋立まで、日本海沿岸部を320キロ走りました。石の聖地の写真家の須田郡司さん夫婦と。須田さんは「日本石巡礼」とか「世界石巡礼」をして、日経新聞社からも同題名の本を出版しています。

 その時、山陰地方の日本海の海岸線を見て回りましたが、すばらしいですね。天候がアイルランドそっくりで、まるでアイルランドのティングル半島を経巡っているような錯覚に陥りました。懐かしいような、哀しいような。荒れた海も、強い風も、ノスタルジックで、心に沁みました。ここに天の羽衣の伝説や浦島太郎の伝説が伝わっているのもよくわかるように思いました。

 つまり、この地は、「天=海の端=橋」だったのです。天と海との境界、エッジ、ボーダーだったのです。昔、『エッジの思想—翁童論Ⅳ』(新曜社、2000年)にという本を出しましたが、わたしは「この世の果て」「世界の崖」「宇宙の果て「にとてもとても魅かれます。子どもの頃から。その「果て」を見てみたい、というのが、わたしの探究心の原動力になっていると思います。

 その、「果て」に届きたい一心で、「バク転」をしているし、「神道ソング」を歌っているのだと思います。10月22日、広島の原爆ドーム近くのライブハウス「をるがん座」で、2時間19曲をソロで歌い切りました。わたしにとっては、19曲をソロで休みなしで歌い切ったのは初めてでしたので、一つの関門を突破したように感じています。

 「歌」はいくつもの「果て」を超えていかなければ、他者の「果て=端」には届かず、そこに「声の橋」がかかることはありません。何とか、これからも、いっそうさらに「歌」の「天橋立」を立てたい、と思いますので、ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

2013年11月18日 鎌田東二拝

株式会社サンレー創立47年、おめでとうございます。益々のご発展と社会的公共の実践を祈念申し上げます。