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シンとトニーのムーンサルトレター 第142信

 

 

 第142信

鎌田東二ことTonyさんへ

 Tonyさん、レターをお送りするのが遅れてしまい、すみません。このムーンサルトレターの開始以来、わたしは約12年にわたって、毎月の満月の夜には必ずレターをお送りしてきました。それが今回、初めて満月の日を失念してしまいました。痛恨のきわみですが、2回目の台湾旅行で風邪をこじらせたのに加え、日本への帰路に航空中耳炎になってしまい、混乱の中にあったからです。ごめんなさい、鬼の撹乱であります。

 そう、今月はサンレー創立50周年記念旅行で2回も台湾を訪問したのです。まずは、1日の10時15分福岡発のキャセイパシフィック(CX)511便で台北へ向かいました。台北には12時に到着。台湾の首都はご存知のとおり、台北ですが人口は260万を超え、政治、経済、文化の中心地となっていますが、世界中から観光客が集まる一大観光都市でもあります。着後は、その台北市内半日観光へ・・・・・・。

 まずは、わたしたちは台湾の代表的寺院である「龍山寺」を訪れました。2013年4月3日にも、わたしはここを訪れています。あのときは、東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会のメンバーとしての訪問でした。いま、日本では全国各地の神社仏閣が「パワースポット」として賑わっていますが、台湾を代表する「パワースポット」が台北市内にある龍山寺です。 

 続いて、わたしたちは中正紀念堂を訪れました。「日光見ずして結構というなかれ」ではありませんが、中正紀念堂は台湾観光において必見のスポットといわれています。この中正紀念堂の「中正」とは、中華民国の初代総統である蒋介石の本名だそうで、台湾における偉人を顕彰して1980年に竣工した施設です。その圧倒的な威容は、蒋介石という人物が台湾における評価を物語っているようです。

 1日の夜は、アンバサダーホテルのバンケットで「50周年記念旅行祝賀会」が盛大に開催。約200名の社員が参加しました。わたしは、この夜をずっと楽しみに待っていました。19時に司会者より「開会の辞」があり、それからサンレーグループの佐久間進会長が挨拶をしました。まずは、「50周年を一緒に迎えることができて嬉しく思います」と述べました。続いて、社長であるわたしが挨拶をしました。

 わたしは、まずは「無事に50周年記念の台湾旅行にみなさんと一緒に来ることができました。感無量です。本当にありがとうございます」と述べました。わが社が誕生した1966年、中国では毛沢東が「文化大革命」を起こしました。そのとき、「批林批孔」運動が盛んになり、孔子の思想は徹底的に弾圧されました。世界から「礼」の思想が消えようとしていたのです。まさに、そのとき日本でサンレーが誕生したわけですが、台湾では「礼」の火が燃えさかっていました。明後日、台北の孔子廟を訪れる予定ですが、台湾には多くの孔子廟があります。30周年には韓国に、40周年には中国を訪れました。しかし、このたびの50周年には台湾に来れて本当に良かったです。日本を除けば、東アジアの中で、わたしの最も好きな国が台湾です。台湾の英語名は「Formosa」ですが、これは「美しい島」という意味です。台湾料理も旨いし、人々の人柄も良い。何よりも、「一番好きな国は日本」という大の親日国です。わたしは、ウエディングドレスの仕入れや東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会のミッションなどでこれまで何度も訪れていますが、行く度に好きになる国、それが台湾です。

 もともと好きだった台湾への思いは、ここ数年さらに募っていました。なぜなら、東日本大震災で、台湾からの義援金総額が「世界最高額」だったからです。日本が大震災で本当に困っているとき、周辺諸国は何をしたか。尖閣諸島や竹島という日本の領土を露骨に狙ってきました。まったく、隣国といっても油断のならない連中ばかりです。その中で、台湾のみが純粋な親愛の情を日本国民に届けてくれました。日本人は、台湾の人々が示してくれた「まごころ」を決して忘れてはなりません。これこそ「礼」そのものです。まさに台湾は、その姿も人の心も美しい島なのです。

 最後に、わたしは「今夜はこの美しき『礼の島』で大いに美酒に酔いましょう!」と述べました。そして、最後に「美しき礼の島にて開きたるわれらの宴 美酒を交わさん」という歌を披露して、檀上から降りました。

 それから、乾杯の発声で宴は盛大に始まりました。しばらくは、美味しい台湾料理と台湾ビールと紹興酒を楽しみながら、各地の事業部のみなさんと歓談しました。そのうち、アトラクションタイムとなりました。台湾の原住民である泰雅族(タイヤル族)による台湾民俗舞踊が披露されました。見事なダンスショーに歌、それから参加型ダンスで大いに盛り上がりました。最後は異様な熱気を放って、みんなで奇声をあげていました。

 続いては、芸能大会です。各事業部の余興ということで、各事業部のみなさんがエンターテイナーになって、楽しませてくれました。北九州は「ソーラン節」、大分は一世風靡セピアの「前略 道の上から」、宮崎は妖怪ウオッチの「妖怪体操第一」、北陸は気志團の「ワンナイトカーニバル」、そして沖縄はBEGINの「オジー自慢のオリオンビール」で、最後は事業部が入り乱れてのカチャ—シーとなりました。こうして見ると、わが社には本当に芸達者が多いです。

 最後は、社長であるわたしの番が来ました。何の芸もない「芸ノー人」のわたしは入場し、「ほんとは歌うつもりじゃなかったんだよ!」と言いながら、しぶしぶステージに上がりました。みなさんからのリクエストで、北島三郎の「まつり」を歌いました。日本から持参した黄金の「祭」の法被を身にまといました。ピコ太郎じゃないよ!

 イントロの部分で、「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ。初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。冠婚葬祭のサンレーが50周年を迎えたよ。さらに今日はみんなで台湾に来たとあっちゃ、こりゃ〜めでたいなあ〜。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言うと、早くも会場が熱狂の坩堝と化しました。

台湾での祝賀会のようす

台湾での祝賀会のようす北島三郎の「まつり」を披露

北島三郎の「まつり」を披露
 わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、会場の熱気は最高潮! 1番の途中でステージを降りて客席に向かうと、握手攻めに遭いました。最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これがサンレーの祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。最後は割れんばかりの盛大な拍手が起こり、感激しました。佐久間会長も大喜びでした。

 2日目は、午前9時にホテルを出発しました。なんと台湾に寒波が襲来して、気温が10度以下で非常に寒かったです。約1時間半のあいだバスに揺られて最初に到着したのは、新北市にある金宝山墓園です。ここの「愛区」には、「テレサテン紀念墓園」があります。

 台湾のみならず日本、中国、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、さらには北朝鮮などでも人気のあった「アジアの歌姫」の墓園です。テレサテンは、日本でも大変な人気でした。特に1984年の「つぐない」、85年の「愛人」、86年の「時の流れに身をまかせ」は、なんと3年連続で日本有線大賞の大賞受賞曲となっています。こころに残る名曲の数々は、いまも多くの日本人によってカラオケで歌われていますね。

 次に向かったのが、九です。台北市から車で1時間ほどの場所ですが、連日多くの観光客が詰めかける人気のスポットです。細い路地の階段に沿うように古い建物が軒を連ねる景色。残念ながら日中の観光でしたが、ここの夜景が人気の秘密なのです。宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」に登場する湯屋のモデルとなった「阿妹茶楼」がある場所ですね。

 それから、わたしたちは九を後にして、十へと向かいました。この十もノスタルジックな街で、どことなく昭和の匂いを感じさせる場所でした。飲食店や工芸品店などが軒を連ねていますが、目立つのはランタン屋です。ランタンに「願い事」を書いて、空に飛ばす体験ができます。わたしも4つの「願い事」を書いてランタンを天に放ちました。

九の「千と千尋の神隠し」の湯屋の前で

九の「千と千尋の神隠し」の湯屋の前で十にてランタンを飛ばす

十にてランタンを飛ばす
 最終日となる3日目は、午前8時半にホテルを出発しました。最初に「忠烈祠(ツォンリエツゥー)」を訪れました。ここは、国のために活躍した33万人の英霊が祀られている追悼施設です。1945年の第二次世界対戦終戦後、植民地時代の日本の神道信仰の痕跡をなくすために名称が「護国神社」から「忠烈祠」に改められました。

 忠烈祠で人気なのが「衛兵交代式」です。陸、空、海軍から選抜された兵士たちが大門と大殿を各2人で守護しており、1時間毎に交代しますが、なんでもイケメン兵士が多く人気の観光スポットになっているそうです。現在の忠烈祠は、1969年に故宮の大和殿を模して建設されたものです。わたしは、自然と日本の靖国神社のことを考えました。国のために尊い命を捧げた人々に敬意を示すのは、万国共通ではないでしょうか。

 故宮博物院は、中華民国において最大の国立博物館で、数多くの古代中国の美術品を所蔵しており、その多くが中国古代皇帝によって蒐集された名品揃いであることで有名です。第二次世界大戦中、故宮博物院の所属品は、満州に駐留していた日本軍が華北地方に軍を派遣してきたため、蒋介石の国民政府(後の中華民国政府)は戦火や日本軍から守るべく、重要な所蔵品を南方へ搬出しています。

 昼食後、わたしたちは最終訪問地である「孔子廟」を訪れました。古代中国の思想家であり、儒教の創始者である孔子を祀っている霊廟ですが、本国である中国はもとより、韓国、日本、ベトナム、マレーシアの各地にも建立されていますが、台湾にも複数の孔子廟が存在しているようで、今回は台北市内にある孔子廟に参拝しました。わたしは、これまで日本各地の孔子廟に参拝していますが、この50周年を記念した台湾旅行でも、どうしても訪れたかったのが孔子廟なのです。建立は1879年、しかし、日本統治時代に病院へと変わり、1907年には取り壊され学校となりました。その後1929年に再建、大成殿が完成しました。翌年以降、門や明倫堂が建てられ、2008年の修復を経て現在の姿となっています。

 わたしは、人類史上で最も孔子を尊敬しています。孔子ほど「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」を追求した人はいません。そんな想いや行動が認められ、2012年には第二回「孔子文化賞」を受賞する栄誉に浴しました。50周年というわが社とっての大きな節目に台北の孔子廟に参拝し、孔子が説いた「礼」の精神をしっかりと守っていくことを誓いました。

台北の孔子廟で佐久間会長と

台北の孔子廟で佐久間会長と台北の孔子廟で会社の同志たちと

台北の孔子廟で会社の同志たちと
 「孔子廟」を後にしたわたしたちは、最後のショッピングを楽しみました。それから、空港へ向かいました。そして、17時55分発のキャセイパシフィック(CX)510便で帰国の途へ・・・21時過ぎに福岡空港に到着しました。ここまでは良かったのですが、数日後に出発した第2班でわたしは大風邪を引き、さらには航空中耳炎を患うという不運に見舞われたのであります。でも、会社のみんなと一緒に50周年の記念旅行に行くことができて良かったと思っています。ちょうど今日、3班が台湾に出発し、今頃、祝賀会を行っていることでしょう。3班の旅行の無事を心より願っています。それでは、Tonyさん、また来月。次は必ず満月の夜にレターをお送りいたします!

2017年3月15日 一条真也拝

一条真也ことShinさんへ

 Shin さん、ムーンサルトレター、ありがとうございます。風邪と航空中耳炎と鬼の攪乱の三位一体で、満月夜の文通を忘れるという前後不覚、痛恨の極み、12年干支一回りして、「愛嬌」の忘我・亡失、お疲れ様というべきか、お見舞い申し上げます、というべきか。ともあれ、回復されて(記憶が戻って?)よかったです。大変心配しました。もしかすると病気で入院しているのかと思ったので、明日にでもメールしてみようかと考えていました。一安心しました。

 この間、Shinさんは最愛の国台湾にサンレー創立50周年記念の社員旅行で2度も訪問されたとか。凄いハードスケジュールですね。わたしは中国(中華人民共和国)には15回ほど行きましたが、台湾(中華民国)には一度も行ったことがありません。いつも行きたいと思い続けてきた隣国ですが、まだその時が満ちていないのか、渡海できずにいます。

 台湾と言えば、この前、2人の間で交わされたマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』は、ほぼ全篇台湾でロケされたそうですね。あの自然の風景は心に沁みるものがありました。スコセッシ監督の描写は重々しくスローで、大重潤一郎監督の自然描写にも似た感じもあり、わたしは大変好きです。そのテンポやアングルやショットが。

 ところで、最近、そのスコセッシ監督の旧作の『最後の誘惑』(The Last Temptation of Christ)を観ました。これは1988年の作品ですが、じつに、実に、凄い内容ですね。Shinさんは観たことありますか?

 いやあ〜。驚きましたねえ。凄いことやったなあ、と感心しましたねえ。すごい! さすが、スコセッシ!

 これは、大変グノーシス主義的な映像で、それをうまく緩和するように包含オブラートにくるんで表現していると思いましたが、何せ、その内容にはグノーシス主義的なアンチ・カトリック的内容が満載なもんで、上映時にはかなり激烈な批判があったようです。

 どこが、グノーシス主義的かと言えば、まず、第1に、ユダの描き方。ユダを裏切り者としてではなく、イエスが神からミッションであるキリストの使命を果たすことを鋭く強烈に促す者として描かれている点。第2に、マグダラのマリアの描き方。イエスの恋人として描かれ、最後の幻想の中では結婚して子供にも恵まれるというまさにグノーシス主義の一つの典型が「最後の誘惑」として描かれているのです。グノーシス主義ユダ派とグノーシス主義マグダラのマリア派の二大グノーシス主義の精髄が込められているのですから、そりゃ〜、カトリック教会にとっては、大爆弾ですよ、メガトン級の。

 この『最後の誘惑』には、『沈黙』同様、原作があります。それは、ギリシャ人作家のニコス・カザンザキス(1883-1957)です。このカザンザキスがまた凄い人です。カザンザキスはクレタ島に生まれて、アテネ大学を卒業後、作家となり、23歳の時、処女作『蛇と百合』(1906年)を発表し、翌年には『夜明け』という戯曲を書きます。その後、パリでアンリ・ベルクソンに学んだりしますが、第一次バルカン戦争や第二次世界大戦を踏まえて、『その男ゾルバ』を書きました。これは、昔、アンソニー・クイン主演で映画化され、ギリシャ好きだったわたしも観たことがありますが、とても骨太のいい映画でした。

 晩年、カザンザキスは『キリストは再び十字架につけられる』や『最後の誘惑』を書き、3度ノーベル文学賞の候補にもなっているようですが、この『最後の誘惑』はカトリック教会の「禁書」となりました。当然でしょう、そのユダ観やマグダラのマリヤ観からすれば。彼は1935年に日本にも来ていて、『日本・中国』という旅行記を書いたようです。

 スコセッシ監督の『最後の誘惑』は、イスラエルではなく、モロッコで撮影されたようです。『沈黙』が日本ではなく、台湾で撮影されたように。この作品は製作中止に追い込まれながら、6年かけて完成させたまさに執念の映画だったようですが、カトリック教会から上映反対運動が起るやら何やら、大変だったようですね。

 しかし、確信犯スコセッシはめげなかった! その完成直後から、28年かけて、2016年に『沈黙』を完成させたのですから。凄いことですね、この執念。『最後の誘惑』から『沈黙』まで、一貫したスコセッシのキリスト観とキリスト教観があるとわたしは感じました。スコセッシはドストエフスキー的に神を信仰している人なのでしょう。その信仰と不信の分裂は凄まじく「宗教的」です。ともあれ、わたしにはとてもとても興味深く、なるほど、なるほどと思わされました。祝、スコセッシ!

 ところで、Shinさんは福岡県博多出身のアメリカ先住民研究者で立教大学教授の阿部珠理さんを知っていますか? 先週の土曜日の3月11日に立教大学7号館7102教室で彼女の「最終講義」がありました。じつに心に沁みる「最終講義」でした。そこには、彼女の人生・道と、それを支える志と誠実と愛がありました。「最終講義」は彼女の人柄が全開で、アベジュリ・スピリットが躍動していました。

  雷(神鳴り)に打たれた阿部珠理さんの人生。Way of Life。そのおもろく、ゆかいで、爽快とし、痛快で、痛烈で、強烈な、「サンダー・ウーマン」人生! 祝、サンダー・ウーマン!

 縁と直観と天啓に導かれてアメリカ先住民研究の第一人者となったサンダー・ウーマンに幸あれと祈りました。わたしは阿部珠理さんの退職記念懇親パーティの始まりで石笛と法螺貝を奉奏しましたが、阿部さんとは、作家の中上健次さんとの対談(『言霊の天地』主婦の友社、1993年)を箱根で3日間ぶっ続けで行なった時に初めて出会ったのでした。 1991年の夏のことです。 以来26年、四半世紀が経ち、お互いに定年の年となりました。

 阿部さんは、比較文明学会副会長として学会を支え、立教大学の社会学部や大学院比較文明学専攻を支え、アメリカ研究所を盛り上げました。そして、定年退職する65歳を迎え、一足先に昨年、わたしが定年退職し、「最終講義」をしました。そこにShinさんも来てくれましたね。その節は、まことにありがとうございました。1年前のことを感慨深く思い出していました。

 そして1年遅れで、本年3月、阿部珠理さんが定年を迎えました。 博多っ子の阿部さんは高校生の時に1年間アメリカに留学し、立教大学社会学部を卒業して、2年間、三井物産に務めたそうです。その後、三井物産を退職して、故郷の博多で英語塾を開いたけれども、本格的に勉強しなければと思い立ち、カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)の大学院で応用言語学を学び、博士課程を修了し、 帰国後、博多の香蘭女子短期大学で教え、その後、母校の立教大学へ戻りました。 1989年のことです。それは、スコセッシ監督が『沈黙』を作ろうと思い立った頃ですね。

 以来28年。立教大学で教鞭を執り続け、多くの学生と研究者を育て、アメリカ先住民研究を続け、フィールドワークを重ね、『アメリカ先住民の精神世界』(NHK出版、1994年)、『アメリカ先住民——民族再生にむけて』(角川学芸出版、2005年)、『大地の声——アメリカ先住民の知恵のことば』(大修館書店、2006年)、『ともいきの思想——自然と生きるアメリカ先住民の「聖なる言葉」』(小学館、2010年) などを刊行し、昨2016年10月に『メイキング・オブ・アメリカ——格差社会アメリカの成り立ち』(彩流社、2016年)を出版し、2017年1月の朝日新聞の書評欄で大きく書評されました。

 それは、アメリカの全貌を知るには必須の本です。わたしも読みましたが、「アメリカの矛盾」が余すところなく抉られていました。アメリカ先住民や黒人やアジアのいわゆる「有色人種」の経験とまなざしからアメリカを厳しく串刺しにした本です。わたしはよく「宗教学」などの授業で、阿部珠理さんの『アメリカ先住民—民族再生にむけて』を学生に紹介します。 現代のアメリカ先住民の状態と置かれている状況が総合的かつ明晰に叙述されているからです。そしてそれは、阿部珠理さんの長年にわたるフィ−ルドワークにしっかりと裏付けられているからです。 阿部さんは書きます。

 「アメリカ先住民とアメリカ合衆国の関係は、『アメリカの矛盾』として集約できるだろう。言うまでもなく、アメリカ合衆国は世界でもっとも早く誕生した近代国家である。独立宣言が公布されたのはフランス革命より早く、ヨーロッパの封建制も経験しなかったアメリカは、身分社会の秩序より、平等な市民社会の理想を国家建設の礎にした。独立宣言の中でも、『すべての人間は神によって平等に作られ、一定の譲りわたすことのできない権利が与えられており、その権利の中には、生命、自由、幸福の追求が含まれている』と謳われている」

 「開拓民一人ひとりを見れば、『自営農民』となるささやかな夢を育む良心の人に違いないが、個々の夢は国家の野望に集約されて、国土拡大の障壁となるものへの、容赦ない排除と征服に結びついてきた。自由、独立、平等を理念とする市民社会の実現は、そこに属さない人々の不自由、服従、不平等の上に成り立った」

と。

 26年前、末期癌になっていた中上健次がわたしを阿部珠理さんに引き合わせてくれたのでした。その1年後の8月に中上さんも46歳の若さで亡くなりました。わたしはまもなく66歳になります。中上健次より20年も長く生きたことになります。この20年間、わたしは何をしてきたのか?

 ありていに言えば、「犬も歩けば棒に当たる」人生を生きてきました。フーテン人生を生きてきました。よく言えば「神ながら」人生を生きてきました。これから先もその精神で流れるままに生きていきますが、さらにエグザイルしエクソダスしバガボンドしフーテンしたいと思いますので、よろちく!

 さて、2017年3月15日の本日、『身心変容技法研究』第6号のPDFができました。この『身心変容技法研究』第6号は、以下の身心変容技法研究会のサイトから全文読むことができますので、ぜひご一読ください。今回は、単行本3冊分のボリュームです。凄いですよ、そのボリューム。
http://waza-sophia.la.coocan.jp/

「身心変容技法研究」第6号
刊行の辞  鎌田東二
第一部 霊的暴力と魔
鎌田東二(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授/宗教哲学・民俗学)「「悪魔」と「魔境」−悪魔論Ⅰ」
船曳建夫(東京大学名誉教授・文化人類学)「キリスト教と霊的暴力とその乗り越え」
藤田一照(曹洞宗国際禅センター所長)「仏教と霊的暴力とその乗り越え」
島薗進(上智大学グリーフケア研究所所長・東京大学名誉教授/宗教学)「日の丸・君が代が規律づける身体と国家神道儀礼」
鶴岡賀雄(東京大学大学院人文社会系研究科教授/宗教学・キリスト教神秘主義研究)「「霊的苦しみ」の問題から「悪」の問いへ–「霊的暴力」論のために」
井上ウィマラ(高野山大学文学部教授/ピリチュアルケア学・仏教瞑想研究)「研究ノート:パーリ文献にみられる悪魔の位相—サンユッタ・ニカーヤを中心として」

第二部 身心変容と芸術・芸能
倉島哲(関西学院大学社会学部教授/社会学・身体論)「太極拳套路における動作の漸進的可視化—中国河南省新郷市における陳式太極拳練習グループの調査から」
河合俊雄(京都大学こころの未来研究センター教授/臨床心理学・ユング研究)「心理療法における否定的なものへの関わりとその逆説」
門前斐紀(天理大学・大阪成蹊大学非常勤講師/臨床教育学)「「作ること」と身心変容—木村素衞-糸賀一雄の思想的つながりを通して」
秋丸知貴(滋賀医科大学非常勤講師/美学・美術史)「自然体験と身心変容〜「もの派」研究からのアプローチ」
堀本裕樹(俳人)「我が俳句における身心変容」
花村周寛(大阪府立大学准教授/ランドスケープ設計・聖地研究・アーティスト)「風景異化と身心変容-見えないものから見えるものへ:生命表象学試論」
奥井遼(日本学術振興会海外特別研究員・パリ第5大学/臨床教育学)「生きられた変容を記述する–稽古の現象学試論」
忠岡経子「共鳴〜隻手の声:認識における共鳴の役割、観想的経験からのアプローチ」
*国際シンポジウム「世阿弥とスタニスラフスキー」全記録
アニシモフ(演出家)・ヤーチン(ウラジオストック極東国立技術大学文化人類学部部長)・松岡心平(東京大学教授)・内田樹(神戸女学院大学名誉教授)・松嶋健(広島大学准教授)・鎌田東二

第三部 身心変容を科学する
稲葉俊郎(東京大学医学研究科助教/医師・循環器内科・未来医療)「体育と教育と医療 オリンピックの可能性」
林紀行(大阪大学医学研究科助教/医師・精神医学・統合医療)「慢性疼痛とマインドフルネスの観点からの負の感情の浄化と霊的暴力」
野村理朗(京都大学教育学研究科准教授・認知神経科学)「「畏敬の念」は攻撃行動を生ずるのか?−個人・集団間葛藤の予防に向けた予備的考察Ⅱ」
古谷寛治(京都大学放射線生物研究センター講師/分子生物学)「分子生物学的視点からみた外的ストレスと恒常性維持」
松田和郎(京都大学 健康長寿社会の総合医療開発ユニット 特定講師/高次脳形態学・外科医)「神経科学と身心変容 〜分子・神経回路から世界史まで〜」
阪上正巳「音楽療法における身心変容の諸相-医学・トランス・強度」
中田英之(医師・漢方)「東洋医学治療と音〜気滞、血を動かす音〜」

第四部 身心変容技法と心霊的体験と洞窟
津城寛文(筑波大学大学院人文社会科学研究科教授/宗教学・神道行法研究)「オーウェン『自伝』他の未邦訳部分——解説と抄訳」
永澤哲(京都文教大学総合社会学部准教授/宗教学・チベット仏教学)「汝の母なる神に礼拝せよ−ヒンドゥー・タントラにおける聖なる性」
唐澤太輔(龍谷大学世界仏教文化研究センター博士研究員)「南方熊楠の心霊研究と身心変容体験—那智隠栖期を中心に」
土屋昌明(専修大学教授・中国文学)「中国の洞窟観念と身体の問題——洞天思想をめぐって」
岩崎美香「日本人の臨死体験と臨死体験後に辿る過程—二〇事例における質的研究の結果から」
メンバー一覧・奥付・編集後記

 さあ、乱世の現代ではありますが、Shinさんは「天下布礼(普礼)」「創業守礼(主霊)」、わたしはいっそう「一心不乱」「自由放免」で参りたく思います。引き続き、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 2017年3月15日 鎌田東二拝